日々の雑記 (LOG)

占いネタ続きます!
私の誕生日は西暦で数字をバラバラにして足すと合計11になるのですが、数秘術だとどういう意味があるのかをネットで調べてまとめました。
ほぼメモがわりなので、11ではない方はスルーでお願いします!笑

11の自分
見えない世界のメッセージを人々に伝え、導いていくことが使命。
11の人はふんわりした雰囲気の中、鋭さも持ち合わせている、影響力の強い存在。あの世とこの世を繋ぐメッセンジャー的役割とも言われることも。
11の人のキーワード: インスピレーション、洗練された雰囲気、美しさ、思考速度が早すぎる、バイオリズムが激しめ、スピリチュアリティ、感覚的で直感的。
11は、1と1を足して一桁にすると2になるので、1・2の両面を持ちます。1は男性的な強さ、2は繊細さ、優しさなど女性的な面を表します。11の人は宇宙にまで届くアンテナを持ち、天から「こうすると物事が上手く運ぶ」「このことを伝えた方が相手のためになる」等のメッセージを受け取ることができ、天から受け取ったメッセージを人に伝えることが役目。
11の人は、生まれながらにして巫女のような質を持っています。必要なメッセージを受け取ることができる優秀な器、媒体になります。より高次元の良質なメッセージが受け取れるようにすることが大切です。
とても興奮しやすく、感動しやすいといった性質もあり、その反動で不安になりやすく、誰かに側にいてほしいと思ったりもします。内面は、ジェットコースターのように気持ちが揺れ動き続けています。バイオリズムが不安定です。考えていることも結構コロコロ変わります。セルフケアが不可欠。11の人は特に、「休息」「メンテナンス」の意識を常に持つことが勧められています。感情が不安定になると、正しい選択や考え方ができなくなるので、自分の感情や意思のコントロールには気を配るようにしましょう。
11の人のカラーは、羽衣のようなシルバー。容姿淡麗で女神のような美しい佇まいを見せる方も多い。専門用語などは分からずとも、次元の仕組みや、この世の成り立ちなどが自然と身についている人ばかりです。
自然と危険を回避したり、相手の言葉ではなく、言外にあるニュアンスをキャッチしていたり相手に必要なメッセージを降ろしたりしています。
人の見えない“気”や“念”のようなものに影響を受けやすいので、ぼーっとする時間を意識して取りましょう。
恋愛は女性にとって、最も感情が動くことですから、11の人の恋愛はとても感情が動きます。気が付くと恋多き人生になります。好きになるのに理由なんてない、と急激に恋に落ちることも。好きな人ができたらストレートに気持ちを伝えます。恋愛をすると周りが見えなくなるタイプで、好きな人のために何でもするというようなところがあります。スリルがあって刺激的な恋愛を楽しみたいというタイプです。ほどよく自分の感情をコントロールすることによって恋人と良い関係を保つことができます。恋愛は、生きるための活力であり、良い仕事をするための原動力でもあります。恋愛では、必要な課題があって、それをクリアするために出会った縁の場合は急に連絡が取れなくなったり自然消滅することも。11の人は、感情の起伏がある複雑で繊細な性格を理解し、応援してくれる相手が必要です。
11の人が楽に生きるポイントは、自分の心を満たすことを目的とするより、誰かの力になれることを喜びとするような考え方に切り替えることです。持ち前の優しさで人を癒してあげましょう。

有名人で11の女性:
– マドンナ(1958年8月16日)
– 沢口 靖子(1965年6月11日)
– YUKI(1972年2月17日)ジュディマリ
– 大塚 愛(1982年9月9日)
– 吉岡 里帆 (1993年1月15日)

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たまたま30分ほど時間がぽっかり空いて、通りすがりに気になったので占い師さんにみてもらいました。「あなたはマゼンタ色の優しいオーラが出ています」とのこと。

 

 


そして、右から順番に出たカード。

 

1.私: 先日再会した彼について→「宇宙からのGoサイン」
2.私:えー本当に?→シャッフルしてる時ポロっと落ちた「至高の愛」
3.私: つまり彼と寄りを戻しちゃえという認識でいいのですか?→「チャンス到来」
4.占い師さん: いい感じですね、桜さん突き進んでいいみたいです、合ってます?→「愛は調和の中にある」
私: 全部良いカードしか無いんじゃないですか?占い師さん見せてくれるがいろんなカードがあった。
5.占い師さん: 最後に桜さんへのメッセージは?→「人生をともに歩む人」

ほんとかわからないけど、かなりハッピーになりました!^_^

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2020年もお世話になりました!2021年も良い年になりますように!✨ 私の過ごした年末年始はといいますと…

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私の祖父は新潟県十日町で育ちました。十日町は、豪雪地帯で有名な場所です。祖父は若い頃に東京に来ました。
第二次世界大戦が始まり、中国の満州に送られました。
当時、満州にはたくさんのカワウソがいて、人々はそれらを取り除くのに苦労していました。
祖父は、カワウソの皮をオイルフィルターとして軍隊に売るのはどうかとひらめきました。軍隊に大量のカワウソの皮を売って稼いだそうです。

それから彼は戦争中にボルネオに移されました。
その南の島にはたくさんのヤシの木がありました。
私の祖父は、ココナツからロープを作り、それを軍隊に売ることを思いつきました。このロープは頑丈で高品質であり、軍隊にロープを販売するビジネスは成功を収めました。
しばらくして、戦争は終わり、祖父は結婚し、父と叔父の2人の息子を持ちました。
祖父は様々な事業を行い、いろいろな会社を作りました。時々それは成功しませんでしたがあきらめませんでした。
祖父が銀座にアートギャラリーを作ったとき、私の父(彼の息子)は私の母と結婚しました。

横浜に大きな家を建てるのにかかる総費用は、祖父と父が平等に負担しました。二世帯用の広々した家です。
そこに私は初孫として生まれました。

私が小さい頃、父は大企業で働き、祖父は銀座のアートギャラリーで働いていました。家の書斎で祖父がタイプライターを使って海外の友人たちに手紙を書いていたのを今でも覚えています。
私の祖父は日本の『版画』を海外、特にアメリカの顧客に販売し、この分野の先駆者となりました。
祖父はメリーランド州ボルチモア市にて名誉市民として表彰されました。

海外出張中、部下に印鑑を託し、帰国した時、会社が乗っ取られていたという経験をしました。
それでも、祖父はあきらめず、祖母の故郷である仙台に引っ越してからもアートギャラリーを開きました。それも成功しました。
そして、晩年を仙台で過ごしました。
私の祖父は2005年に亡くなりました。

私は今も祖父のことが大好きです。